コニ氏のブログを読むじゃんね!

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人間の本質を暴く狂宴~超歌手 大森靖子「クソカワPARTY」 ~

 先日行われた超歌手 大森靖子「クソカワPARTY」 TOURの長野公演に参加してきたのですが、ちょっと色々と渦巻いてることがあるので吐き出す記事として書こうかなって思うので、普段取ってるイベント感想記事とは全然違う形式になると思います。方向性として読んだら暗くなること請け合いだと思うので、あんまりメンタルが良くない時には読まないほうが良いと思います。

 

 

 

セットリスト

01 GIRL'S GIRL
02 Over The Party
03 TOKYO BLACK HOLE
04 ドグマ・マグマ
05 イミテーションガール
05 非国民的ヒーロー
06 7:77
07 ラストダンス
08 アメーバの恋
09 わたしみ
10 パーティードレス(ギター弾語り)
11 マジックミラー
12 VOID
13 VOID (fast)
14 Body Feels EXIT安室奈美恵
15 July 1st(浜崎あゆみ
16 絶対彼女
17 流星ヘブン
18 きもいかわ
19 死神

 

アンコール

20 ポッキーラジオCMソング(ギター弾語り)
21 ミッドナイト清純異性交遊
22 ミッドナイト清純異性交遊

 

ダブルアンコール
23 REALITY MAGIC

 

概要

そもそも大森靖子という存在を知ったのが僕自身結構最近というか、今年リリースされた「クソカワPARTY」というアルバムに入っている「死神」という曲のMVをたまたま見て凄い衝撃を受けたのがきっかけだったんですよね(下にMV貼るのでぜひ"対戦"してみてください)

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でもって色々曲とか集めたり動画漁ったりしてたんですけど、曲自体どれも凄く引き込まれるんですけど、大森靖子さんのパフォーマンスって音源と全然違うんですよ。特に下に貼る「音楽を捨てよ、そして音楽へ」の動画とかお気に入りなんですけど

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これは生のパフォーマンスを体感しておかないと絶対後悔するなって思って、死神を確実にやること請け合いなクソカワPARTYツアーやってるうちの唯一行けそうな長野公演に足を運んだ感じなんですね。

そこでまず思ったのが、大森靖子という「存在」、歌もパフォーマンスもあまりに圧倒的すぎて魂が死に近づいていく感覚がするんですよ。大森靖子の奏でる音楽とパフォーマンスはあまりにも人間の本質に迫りすぎていて、それでいて暴力的なまでのパワーを感じるんですよね。

 

今回のセットリストの1曲目に選出された「GIRL'S GIRL」って曲、セリフから始まるんですけど、なんて始まると思います?

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「人生は~かわいくないと生きてる価値~なくない?」

「テメーが言うなよ、ブス」

「チッ」

 

ですよ。大森靖子がかわいいを最大限に詰め込んだというこの曲、多分「クソカワPARTY」というアルバムの根幹なんだと思うんですけど、あまりにもかわいいのダークサイドを体現しまくってますね。

 

実はクソカワPARTYというものの本質はこのTweetにこそ詰まってるのかもしれません。

 

ここまで読んでもらえたらなんとなくわかると思いますが、大森靖子というアーティスト、結構ぶっ飛んだ人です。大森靖子は自分を偽らない。途中のMCで「ステージに立ってる時は無敵なんですよ私」と言い放った大森靖子は無敵であるが故に頂点に立っていて、それでいて頂点は孤独な存在だということをわかっていて、それでもなおその存在感で引きつけてくる。恐ろしい存在です。

 

 そして今回一番衝撃を受けたのがこの

 「ラストダンス」という曲の前のMCなんですけど、この曲には歌詞の中に「殺したい」ってワンフレーズがあるからそれが理由なんだと思うんですけど、人間誰しも生きてりゃムカつくこととか、殺してやりたいほど人を憎んだりすることもあっていいと思うんですよ。でもそういう感情って社会生活の中では結局やり場がなくて、こういう感情をこんな風に開放できる空間があるっていうのが凄くインパクトがありましたね。

 

そんな中でも結構単純にフリコピとかを楽しめる曲もあって、それが「7:77」とか「絶対彼女」とかなんですけど、あまりにも大森靖子さんが心底楽しそうにパフォーマンスをしているので、今度は感情がそっちに引きずられるんですよ。こんなに自分の感情に落差を感じたのは久々でちょっと戸惑ったところがあります。

 

そうしてライブも終盤を迎え、大森靖子の中でも色濃く死を司る2曲が登場します。「流星ヘヴン」と「きもいかわ」なんですけど、まず「流星ヘヴン」の

 

「a. アカウントを消して 仮想的に自殺する
自撮りは私の遺影 2ギガのムービーは走馬灯」

 

って歌詞、現代人なら大なり小なり絶対に持ってる感覚だと思うんですよ。「死ぬ」っていう感覚がもう肉体だけのものじゃなくなってきてるんですよね。

そして「きもいかわ」で「皮」を剥ぎ、「川」に流して、それで救われないなら死んでいく。そして「流星ヘヴン」と「きもいかわ」の後、最後に待ち構えているのは「死神」です。この死神は何度も死が溢れても生まれ変わる。そうしてまた自分とは違う皮を被り、世界が弱った頃に反旗を翻す。そうしてクソカワPARTYは繰り返し「再生」されていく。そしてダブルアンコール、最後の最後「REALITY MAGIC」でクソカワPARTYは「再演」を始めるのです。

これはもう正直生で体感してもらわないとどういうものか見えてこないものではありますが、特に死神を聞いてた時は本当に生と死の境界が曖昧な感覚がしていました。

 

最後に「クソカワPARTY」というアルバム発売に寄せた大森靖子さんのコメントを載せておくので、是非読んで、興味があれば「クソカワPARTY」に触れてもらって、"こちら側"を体験してみてください。僕は行けませんが、12/9に東京でツアー千秋楽もあります。

 

 Comment from 大森靖子

この度ニューアルバム”クソカワPARTY”の主催を務めさせていただきます、クソカワジョーカー大森靖子です。

ジョーカーは何にでもなれる無法者で口達者で、ほんとは真理と一番近いところにいて世界を動かせる。このクソカワ大宴会は最後の晩餐となることでしょう。

大人とか母親とか、ひどい言葉とか、何者の肩書きをなすりつけられても、私が私である自由が奪われるわけがなく、こどもがいちばんとかあなたがいちばんとか、ではなく別々に特別だからこそ感じることができる他人の尊さがあるわけで。などと説き伏せて通じる世の中ではないことに唖然とし続けてきたわけですが。自分を削るのが美徳だった時代などとうに終わっているのに、自分と同じ苦労を味合わせたい、世の中全体の人生の平均点を下げて自分がそれを超えることによってしか幸福を味わえないって不幸そのものじゃないですか?

ジョーカーには、法律もルールも通用しません。場の空気を掌握する才能を持っています。雰囲気で適当なことを言ったり、世界を終わらせるタイミングを図っているのかもしれないです。そうして何度も川が海へ拡がるように人が死へと溢れてゆき、消えたと思いきや私は再生される、それを何度も何度もくり返すイメージが、あなたにこのアルバムを再生して貰うたびに起こり、最期の曲で果てるのに、また再生すれば生まれることができる、そのたび私は最強になれると思います。どうかPLAYし、わたしを再生してください。最高で最悪な魔法が使えない私にしかできないPARTYをはじめよう何度でも。

誰にも言えない、誰にも自分の言葉が通じない、言葉にならない感情を私は言葉にできるのに、しているだけなのに、みんなもっているものなのに、触れてはいけないもののように扱われる。それすらもう慣れたので、あえてその人にわかる言葉で話す道化のように歌詞を書くことにしたのでした。

今私のなりたいもの、私が本当は一番触れられたい私、どうせ誰もここまで来れねーんだろと思っている最高位の孤独に君臨している恥ずかしい私そのままを歌ったアルバムです。ここまできてください、孤独を孤立させないで、そして私もあなたの孤独に会いにいきます、いつでも音楽で。